100年前の沖縄そばが進化しつづけて今がある。 すば人 ゴヤ親方×金月そば 店主

沖縄ではもともと「そば」は「すば」と発音します。
「沖縄そば好き」のことは「すばじょーぐー」。
すばじょーぐーならご存知の、すば人 ゴヤ親方(スバンチュ ゴヤウェーカタ)のブログ・『すば』らしい日々には、1999年から本格的に始めたという沖縄そばの食べ歩きが記録されています。
食べ歩きといイメージを軽々と超える沖縄そば愛を感じたのは、親方のこんな言葉でした。
「うちなーんちゅ(沖縄の人)ってもう沖縄そばのことになると全員評論家なんです。自分の好みだけが正義で、それにはまらないのはすぐ否定したがる。そうじゃなくて、そこの特長やよさを探そうよっていうのを伝えてくて、発信してるんです」

「金月そば」店主が親方に話を聞きました。

沖縄そば=茹で麺
という枠組みを外したい。

ゴヤ
そば親方

年に1、2回、親がつくってくれる沖縄そばが楽しみで、楽しみで。出汁をとるのに鶏の骨を使ってましたね。子どもの頃から沖縄そばが一番好きな食べ物です。18歳で車の免許取るのも、食べ歩くぞっていうのが一番の目的で。
今年44歳になりますけど、沖縄そば屋さんに相当な数、行ってます。2012年に、それまでも10年以上食べ歩いてるのに、心の中にしか残ってないなと思ってブログを始めたんです。閲覧数とか気にしてないけど、一日1000、2000になって、テレビに呼ばれたり、雑誌に記事を書いたりするように。
ただ食べるだけじゃなくて、研究(*)もしてるんです。今、スープ濃度、塩分濃度、麺の形状については500店くらいのデータがある。これは公表してなくて、自分の研究です。蓄積していくことで年代ごとの変遷やそれに基づくニーズの変化なども分かってくるかもしれません。

Ⅰ. 沖縄そばのスープ濃度及び塩分濃度の研究(現在約500店舗のデータ所有。地域差や年代ごとの推移などを解析していく) Ⅱ. 沖縄そばのスープ濃度及び塩分濃度と麺の形状との関係性に関する研究
店主
タキロー

僕も親父がずっとわしたショップで麺を買ってきて沖縄そばつくってくれてました。

ゴヤ
そば親方

内地(本土)に住んでたんですか?

店主
タキロー

うるま市で生まれたんですけど、中学校から東京なんです。沖縄をまったく感じない暮らしで、親父がつくってくれる沖縄そばが唯一沖縄を感じられるエッセンスでした。

ゴヤ
そば親方

下積みはどんなして?

店主
タキロー

親父がつくってるのを見てて、そこが土台になってる。東京で生麺を食べた時に、沖縄そばでも地域によってさまざまな文化ができてるんだなって認識して、生麺でやるというのは一途に決めていました。沖縄そば=茹で麺という枠組みを外したほうが、もっと広がりがあるんじゃないかという挑戦のスタートです。最初は自家製麺は夢の夢だったから、三倉食品さんにお願いして。

ゴヤ
そば親方

三倉、好きです。自家製麺にされたのは?

店主
タキロー

2016年です。10年くらいは三倉食品さん。
三竹寿(つけ麺の店)の店主と東京の職場が同じだったんですが、「沖縄でこんな製麺機が売りに出てるよ、買っておいたほうがいいよ」と言われて。製麺の練習をしてましたね。そこから県産小麦にフォーカスしたそばできないかというふうになりました。

ゴヤ
そば親方

県産小麦で製麺するようになったのは何年くらい前?

店主
タキロー

5〜6年前。自家製麺にしたのとだいたい同じくらいですね。

ゴヤ
そば親方

材料、割りに合わないと思うんですよね…。小麦の栽培は?

店主
タキロー

2年間、読谷村で畑をやって、鳥害に打ちのめされて…。今は小麦を生産してくれる農家を増やしたほうがいいということで進んでます。でもサトウキビは悪くても保障があるじゃないですか。どうやって農家を増やすんだというところで難しい。
100%の県産麺をつくるのは小麦の生産量からすごく難しくて。96%が熊本産の中力粉と強力粉をベースに、沖縄県産小麦を4%使って製麺してます。

ゴヤ
そば親方

相当費用も変わるでしょう?

店主
タキロー

それが外国産を仕入れていた時と25kgあたり1,000円くらいしか変わらなかったんですよ。僕は倍するんじゃないかと思ってた。倍していた時代もあった。みんなが考えるほど国産小麦は高価じゃないんですよ。

沖縄そばは、本土復帰後、そば粉を30%以上使用してないものは「そば」とは認められないという理由で、「沖縄そば」という呼び名が禁止された歴史があります。
長年愛されてきた名前を守る運動が続けられ、1978年10月17日に公正取引協議会から「沖縄そば」の呼称認定を受けました。

ラーメンも沖縄そばも
親はいっしょの支那そば。

店主
タキロー

今、生麺を出しているところって30店舗くらいですか?

ゴヤ
そば親方

もっとあるんじゃないですか。
そもそもなぜ茹で麺になったかというと、味のためじゃなくて、オペレーション。早く提供するためです。茹でておいて、くっつかないように油をまぶす。
生麺を使用した沖縄そばがこれだけ普及し、認知され、完全に市民権を得ている状況で、今さら生麺は沖縄そばではないというのはナンセンス。私は生麺も沖縄そばだと思っています。
ソーキそばだって、まだ50年くらいです。我部祖河食堂の創業者である会長さんに直接伺った情報によると、昭和50年くらいに、我部祖河食堂の会長がもともと肉屋で、余ったソーキをのせたらすごい評判がよかった。10年くらいで県民に認知されてあっという間に食文化になった。
沖縄そばの原型といわれるものが明治35年からあって、岸本食堂が明治38年の創業で、今、沖縄で一番古い。でも100年前のそばが何も変わらず当時のままの味で今の人に受け入れられるわけないんです。昔のままで続くわけがない。多少なりともどんどん進化しつづけてきて今がある。変わらない店なんてつぶれてます。

店主
タキロー

毎日お店を開けていると、「こんなのは沖縄そばじゃない」と否定するお客さんもいて、悩ましいこともあるんだけど、沖縄そばってどうなっていくのかなというのを聞きたいです。

ゴヤ
そば親方

それは県民の皆さんがその時、その時に、決めていくことです。というのは今さら沖縄そばの定義をつくることはできないので。材料だけでいったら、ラーメンとあまり変わらない。でも金月そばは沖縄そばですよね。それは県民が決めること。それもどんどん変化していくものだと思います。

店主
タキロー

沖縄そばは儲からない、ラーメンは儲かるというイメージが経営者には強い。ラーメンに負けないというよりは、沖縄そばの業界を盛り上げるということにすごく熱があるんです。そのあたり、同じ材料のラーメンをゴヤさんが食べ歩かないためには…。

ゴヤ
そば親方

僕、ラーメン大好きなんですよ(笑)。沖縄そばのすぐ後ろにいるんです。

店主
タキロー

僕もそうなんです(笑)。妻には「また麺なの? 休みの日くらい米にしようよ」って言われるんだけど。

ゴヤ
そば親方

もともとラーメンも沖縄そばも親はいっしょなんで。いわば兄弟。支那そばがあって。県外ではラーメンに変わっていって、沖縄では沖縄そばに変わっていくんですけど、なんでかというと、僕の見解ですが、沖縄はまず豚の文化があるんです。1609年に薩摩が侵攻してくる。明(中国)と貿易するために沖縄をとったんですね。で、琉球の財政は厳しくなって、畑を耕すための役畜である牛と馬を殺してはいけないというおふれを出したんです。それでおのずと豚とヤギを食べるようになるんです。
薩摩は中国と貿易を続けて莫大な利益を得る。その時、主要品目の中に昆布とかつおぶしもあって、それを琉球を使って明に流した。もともとの食文化だけではなくその影響もあって、沖縄は昆布と鰹節の消費量が全国一になった。そういう背景から豚、鰹節、昆布という文化があって、沖縄は沖縄そばに向かっていったんだろうなと思います(昆布といっても昆布出汁ではなく明治42年以降は昆布のグルタミンサンで作られた味の素をほとんどの店が使用していた)。
もちろん、豚、鰹、昆布の出汁だけが沖縄そばということでもない。大正時代に流行った「井筒屋」は鶏の出汁も使用していたそうです。有名な話ですがその頃は醤油もたくさんを使って真っ黒なスープ。でも大正時代にあるお店が、醤油の量を減らして、塩を効かせた。ここでまた大きく変わった。どんどん進化しているんです。

店主
タキロー

本土のラーメン屋さんは、この麦を使ってこういう麺をつくりたいと原料ひとつから選択できるわけです。沖縄は製麺屋さんの決まっている原料があって、その小麦粉を使っていくことに違和感があって。なんでこのシステムのなかでやらなきゃいけないのっていう反発心もある。
戦争というのはそもそも利益を他の国からどうとろうかっていうことで、敗戦後、米国産の小麦の流通というものが沖縄でばーっと流れてきているという実情を感じるんです。

ゴヤ
そば親方

それはあると思います。おっしゃるように、沖縄そばは選択肢があまりないなかで、消去法でやっているということはあると思われます。そこでオリジナル性を出していくということはすばらしいことだと思う。このホームページで金月そばの変態ぶり(もちろん褒め言葉)を県民がもっと知ってくれたらと思います。

呉屋親方との対談を振り返って

どんな沖縄そばにも店の「良いところ」がありそこを見つけていく呉屋さんの探求心と沖縄そば愛にはいつも救われます。
ここ10年くらい多種多様な沖縄そばが登場し賑わいをみせるなか麺という枠だけでは語りつくせない寛容な優しさを感じました。さらには長い尺度で見る歴史観は沖縄の食文化を語る上では大切にしなければならないと改めて感じとても勉強になります。
僕らが次の世代にバトンを渡すまで沖縄そばがどう発展していくのか。
呉屋親方のフィルターを通した沖縄そばの歴史、今後もたのしみですね。